チャンネル遂夜

右左に囚われず私が政治、社会に対し思い、考えた事を発信していきます。Twitterもやってます。@kurasikituiya

現在の政治状況とブログ立ち上げの趣旨

 三月も終わりつつある今、来月から新生活を始めようとしている人間も多くいると思う。しかし、希望溢れる新生活というよりは絶望と不安の新生活を思い描かざるを得ないような状況がコロナ禍によって巻き起こっている。そんな中政治の中枢では商品券だの桜を見る会だのと全く的外れな議論をしている。今は平時ではなく非常時であるという自覚が政治当事者達にはない。

 私はこのような政治の状況を作り出した責任の一端は、社会に蔓延る歪んだ建前主義と真理を真理と言えない見当違いの道徳主義にあるのではないかと思う。政治的に右だとか左だとかを分類分けして立場が違えば叩き合い、綺麗事を真理であるかのようにして相手を攻撃する。それが健全な政治であり社会なのだろうか。私は違うと思う。世の中の立場や意見の異なる国民の声を代弁しているのが本来の意味での政党機能の一端とするならば国会の中で意見が異なるのは当然である。であるならば本来意見の調整をしあうのが真っ当な民主主義国家ではないだろうか。

 また、世の中には議論をするとマズイとされる、もしくはその議論をさせまいとさせるような議題がある。極論を二つ挙げる。森永卓郎氏が提唱していたが「イケメン税」の問題などだ。一見くだらないと一蹴され、笑い話になっている議論ではあるが、現実に容姿で不利益、利益が生じているのだから「「議論すること」」それ自体は何ら問題はないだろう。また、あるテレビ番組で言論人が若者の疑問に答えるというコーナーがあったらしい。そこである若者が大江健三郎氏に「なぜ人を殺してはいけないのか。」たずねると大江氏はその質問それ自体が非道徳的であると切り捨てた。日本の一流の言論人のご意見では非道徳的な事を議論することそれ自体がいけないらしい。その様な事をしているから本質的な議論は国会でもメディアでも全く出てこない。

 世の中で議論されにくいことや世の中のイメージ、建前に振り回されてはいけない。私の書く文は稚拙だが世の中に生き辛さと憤りを感じこの度筆を執ることにした。善悪や左右、建前に囚われない自分の意見を書いていきたい。更新頻度はそれほど高くないだろうが多くの方に読んでいただければ幸いだ。